風邪引き



  今日は先輩、風邪でお休み。当然学校で会えるわけもなく、じゃあ会いたくなったらどうすればいいか。ほとんどの人は、明日があるからとかなんとかで片付け てしまうが俺は違う! 今日と思えば今日! 会いたいと思えば必ず! 無理がつかない限りどこまでも愛に行くのが俺だ! あ、会いにね。
 そんなこんなで学生の身分でありながら一人暮らしという、すごいうらやましい設定であらせられる先輩のアパートに直撃訪問。
 マジックの落書きを消した跡のあるインターホンを押すこと数秒。反応なし。インターホンに気づかないほど深い眠りに就いているのか、しんどいので居留守を使っているのかは、外から見て分かるわけもないので、合鍵を差し込み回す。
「せんぱ~い、生きてますか?」
  狭い玄関に靴を脱いでそろえて、ワンルームマンションにある数少ない扉を開ける。うん、予想はついていたがなかなかだな。親に五月蝿く言われることのない 独り暮らしで、なおかつ風邪を引いてりゃあ部屋は汚くなるもので。シンクに溜まっていた洗い物や、面倒臭くて脱ぎっぱなしになった衣類が散乱している廊下 は前哨戦で、戦場となる部屋には丸められたティッシュに空いた清涼飲料水のペットボトルが散らばっている。まあ、風邪引き一日目ということで、そんなにひ どいものではないのが救い。
 調子はどうかな、と顔を覗き込んでみれば、熱はあるもののそれほどひどくはない模様。風邪薬でも呑んだのか、幾つか 空いた錠剤が転がっていた。ふむ、風邪薬の中の睡眠成分が効いたのかなと状況判断。そんなに眠りは深くなさそうで、ふざけて胃薬胃薬……、と低音でささや くと眉根がよった。まあふざけてみるのはそんなものにしておいて、さあ状況開始といきますか。
 洗濯物は細かく遣りすぎると後で怒られそうなの で、洗濯機に突っ込むだけにとどめておく。恥じらいは大切なのですよ? シンクに溜まった洗い物を片付けて、いっちょ体のあったまるものでも作ってみる。 鍋に火をかけて煮込んでいる間に、たたみおわっていない服を整頓しておいてやる。下着はどうかって? 恥じらいは大切だけど、それとこれとは境界線で、ま あ、いまさらそんなの気にする関係でもないでしょうとテキにパキる。
 窓越しに見える空はとっくに明かりを失っていて、さすがに廊下の明かりだけ でいるのもなんだな~、と思い、暗くなり始めた空以上に暗い部屋の電気を点ける。蛍光灯の下で見た先輩の顔色は、熱が出ているので赤く、赤い顔を見ている と照れているようにも見てとれて、そう悪くは見えない。まあ実際は熱のせいで辛いんだろうけどな。これが土気色ってんなら俺も大慌てだけどな。風邪は可愛 く引くに限る。
 仕上げを少々、コンロの火を止めたころ、ベッドから起き上がる気配に気付いた。扉が開いて廊下に入ってきたのはもちろん先輩だった。
「先輩お邪魔してますよ」
「……ぉ~う」
 風邪で辛いのかそっけない返事。まあ風邪を召している方に欧米風の挨拶をされても困るけどな。寝起きプラス風邪で目が堅いのかぐしぐいとまぶたをこする先輩。鍋の中を覗き込んでも何もいうことなく、部屋へと戻っていった。うむ、なんかこっちまで調子が悪くなる。
「先輩、食欲ありますか? まあ、無くても食っといたほうが良いんで食わせますよ~」
 ぅい~っと、こもった声になっているのは布団の中から返事をしたからだろう。お盆に、鍋の中身を移された丼と薬缶の中身を移された湯飲みを載せる。まだ熱いんですぐには食えんだろうけどな。ふーふーなんてことはしない予定。
「鼻が利かないからか、あんまし味わかんないや」
  一番おいしいであろう温度を通り越したが、必殺に違いない料理に対して、風邪で疲れた笑い顔を浮かべながらそんなこと言われた。結構会心の出来なのに、殺 りにいったのが失敗だったのか? まったく病人というやつはこれだから! ちょっぴりしょんぼりしながら、お盆を下げるときにお風呂はどうするか聞いてみ た。にょにんのやわはだを拭くという魅惑と倒錯のイベントだが、今日は調子悪いからいいや、ということで発生せず。まあ調子よくても発生しないことはわ かってるんですがね。残念かい? と完食された食器を乗せた盆を担ぐ自分に聞いてみる。
 ご飯を呑んで薬を食べると眠たくなってきたそうなので帰ることにした。部屋の電気を消していくと、入ってくる光は玄関からの外の光だけ。帰る立場の俺は先輩にお大事に~ と言う。
「明日も頼む~」
 心の中で貰った言葉を繰り返し、返事が感謝でないことを確かめて、合鍵で鍵をかけた。