葡萄と口



 ザルの中に盛られたのは、洗われたばかりでまだ水滴を点けたブドウ。脇に置かれた皿には、果肉を取り払われた皮と種が入っている。不思議なことは、口の中のそれよりも吐き出したものの方が、香りが強いように思うこと。
 大粒の実った房が半ばまで食い荒らされている。まだその下にはもう一房。
 先輩は良く噛んだ皮を吐き出すと、先ほどまでの無言を言葉を吐いて破った。
「ブドウ食べるときって無口になるよね。まあ数が勝負だから欲張るとそういうもんかな」
 そう言いながら先輩は一度に二粒、口の中に放り込んだ。口を開いてもペースを崩す気はないらしい。
「もの食べるときは、だいたいそうですけれどもね。しゃべりながら食べるのは、マナー違反というより、できませんしね」
「まあ、二口女でもない限りは無理だよね。言いたいのは、口がふさがってるってわけじゃなくて、夢中になるって感じで、どうぞよろしく」
「…………」
「ここぞとばかりにブドウに夢中になった振りして無視しなくてもいいじゃんかよ!」
 先輩は口を膨らますけれども、さすがに種を吹きつけてくるような真似はしなかった。
 夏は縁側ということもあって、いろんな種類の果物であれだけ派手にやったのに、やはり世話をしなければ芽は出ないらしい。
「食事は歓談とともにっていう風潮がありますけど、一方の言い分ですからね。それに対するならカニもそうですよね」
「エビもそうだね。まあお祝い事的な場面のエビはその限りじゃないけどさ。食べてる当事者が無言でも周りはやかましいしね」
「だから祝い事で出てくるエビカニって食べるタイミング考えますよね。あんまり見たことはありませんけど、ブドウもそうじゃないっすかね。甲殻類に剥かなきゃならない果物って、手間かかるから集中しますもんね」
「無言になるのもわからんでもないと」
「ま、そうですね。みんながみんなエビを掴んで無言になるのはどうかと思いますけど、祝い事なら人が多くて、みんながみんなエビに夢中にはならないからいいですよね」
 めでたい席で皆が一心不乱にエビの皮をむくというのは残念で仕方無い。もしかすると祝われる当事者もエビに夢中で気付かないかもしれないが。人を惑わすエビ、恐るべし。
「あれですよ。あとシャコとかもですね」
「……え?」
「え?」
 何だろう、この違和感。具体的に違和感を表すならば認識の齟齬の露呈。
「いやそれはないっしょ、シャコはこう、箸入れて、おりゃーとりゃーちぇりゃーって言いながらバコッてすれば楽じゃん」
「バコッてなんすか、バコッて」
「いやだからこうやって、バコッだよバコッ」
 そう言いながら先輩はジェスチャー開始。想像力を働かせてもその手元に蝦蛄は幻視できない。
「あれ、なんすか、もしかしてシャコって攻略法あるんですか?」
「まあ、端的に言うと、あるね!」
「うっわ、今までいちいちエビみたいに剥いてたんですけど」
「それっていちいちブドウを剥いて種を出してから食べるようなもんじゃん。手間がかかって無駄無駄」
「つまりシャコも口の中に放り込んで殻を外せと」
「口の中、傷だらけになるってば」
「ブドウみたいにやわらかいといいんですけどね」
「外敵から身を守れなくなっちゃって、おいしく頂かれて全滅したらどうすんだよ。それに比べて種を残す果物は食べられてなんぼだしね」
「動物だと食べられてなんぼって考えはできませんよね。食べられるってそこで試合終了じゃないですか」
「まあ、一概にそうとも言えないんじゃないかな? 寄生虫なんかは食われてなんぼだし。あと食べるってことの意味の変化とかね」
「そうですかね。脱皮したてのエビとカニとか、殻が柔らかいから重宝されてるらしいですよ。人間的にも自然界的にも。まあ、脱皮と殻の固さ云々があっても、シャコはこうして人間様に食われてるんですから、完璧とは言えませんけどね」
「まあエビもカニも殻ごと食べる調理法があるし、シャコ料理って詳しくないけど、うまく調理すればたぶん殻を剥く手間は省けるんだよね」
「つまり先輩にも、殻が面倒だったら調理の段階から手間をかけろと」
「まあ、素材の味をそのままで頂くのもいいし、おいしく料理してくれるんならいいかな。調理もいいかもしれないけどさ、楽だから、剥いてもいいけど」
 そう言うと先輩は上着を脱いで後ろへと放った。
 二人同時で小さい皿に、口の中で分けた種と皮を吐き出した。見れば先輩の肌には果汁がのっていて、こちらの白いシャツにはしっかりと色がのっていた。確かに楽だったかもしれない。