唯一解答



 高い湿度は脳をいらつかせる。赤道近くの密林にさまよいこんでいるわけではないのだから、もう少し体は我慢を覚えて欲しいものだ。
 もちろん湿度そのものは空気中に含まれる水分量なのだから、えいちつーおーに人の心をいらつかせる効果があるのではなく、不快に思う環境を構築するってこと。環境は人の心を左右する。
 今日の気温と髪の毛のコンディション、結露のありかたやらなんやらで、湿度がどの程度のものか考えてみる。変に頭を使うと余計にいらついてきた。
 じめじめして蒸し暑い空気を吹き飛ばすあてはあるにはあるのだが、のそのそとやってきたのは先輩方の教室。目的のお相手の席をうかがうと増えていた。机が。
 机はカビとかキノコじゃないから湿気では増えないはず。
「どうしたんですか先輩? ルービックキューブに知恵の輪、これはクロスワードか。魔方陣の作り方の本も当然押さえて、ジグソーに、……なんだこれ、立体パズル? 最近はホント、こういうのが多種多様で見てるだけでも飽きませんよね。まあ解こうとすると飽きるんですが」
「そもそも解く気がなければ飽きもしない?」
「興味がないとも言いますね。ゴルディオスの結び目なんかは仕入れてないんですか?」
「いやいや、剣で切っちゃう以外説く方法がないんだぜ。んー、でも解くことができれば、おれっちが世界の覇者か!」
 先輩の机は周辺の机をより集められ、そこには脳を酷使するものが並んでいた。
 本も多く、いくつかめくってみれば詰将棋なんてものまで出てきた。いったい何がしたいんだか。
 多種多様な本があるけれど、パズル的な収納されたものもちらほら。表面に模様が描かれた箱は細工箱とのこと。振ってみれば音がするので何か入っているらしいが開け方がわからないと開かないのが細工箱。飽いた。
「まあ、ともかくどうしたんですか? 自分のおつむのあまりの残念っぷりに嘆いて今から脳みそトレーニングですか?」
「脳トレだとか脳年齢を若返らせるだとか何だって言うけれども、実際トレーニングしても効果はないらしいよ。最適化はその都度行われているけれども、万能にはほど遠いってわけ」
「必要としているものの違いでしょうね」
 勝手にクロスワードを埋めて行く。湿気を吸った紙には鉛筆の乗りが悪く、いじわるも込めてボールペンに持ち直した。油性のボールペンなので平気だが、水性だったならばインクが溶け出すんじゃなかろうか。
 視線をあげてみれば、先輩が数字とアルファベットの書かれたダイヤルを回す姿が目に入る。是が非でも解かねばならない理由なんてのは、その小さなダイヤルには見つけられなくて、真剣な顔つきの先輩を羨ましく思う。
「にしても、こんなじっとりしてる中、よくパズルなんてできますね」
「ま、確かに蒸し蒸しするから肌がぺとついて不快かな。こんな悪条件だからってわけじゃないんだけど、ちょっと頭の使う気分転換でもしようかと。鍛えてもたかが知れてるけど、使わないと駄目になるよ。」
 そう言いながら先輩は頭をこんこんと叩く。いい音がするので先輩の頭は甘いのかもしれない。甘いスイカが重宝されるように、人間も甘い方がいいのだろうか。
「理系のパズルだけじゃなくって文系もあるしね。回文なんかもパズルの一種だけど、シモードニラップなんて無茶は言わないから、何か言ってみる?」
「しんぶんし、位が限界ですね。新しいパリンドロームを構築するっていうのなら歓迎ですけど」
「遺伝子は記憶を受け継がないと言われてるけれども、心配になるじゃん」
 連綿と続く人の営みを否定されてしまった。
「数字は独身に限るかもしれないけれど、聖職者だってマフィアだって人は家族になるもんです」
「それを答えとするのは早計だとは思うけどね」
「人生をパズルにするのは無理ですから。それにパズルって解けない人いますよね」
 誰から見てもそれが正解だと分かる答えが出るのなら、ずいぶんとはっきりした人生ばかりになるだろう。解けない人は、まあ、ご愁傷様ということで。
「まーね。それにそれが解き方だとしても、おれっちはこの世で一番難しい恋のパズルならもう解いちゃったしね!」
「へえそうですか。そりゃ剣でバッサリ切られた相手はおかわいそうに」
「アレクサンダーもびっくりだ!!」
 なぜかそのままチョップを頂戴した。真っ二つになってないか体の無事を確かめると、結び目が解けているところは見つからなくてホッとした。