蝉のこえ



 蝉ってヤツは不思議なもので、地中にいるときは何を食っているか知らないが、成虫になってからは木の蜜を吸うくせに、時々何を吸いたがっているのか、学校の壁にやってきたりもする。きっと不良で壁の塗料に含まれるシンナーを吸いにきたに違いない。
「地中の中では道管の方の樹液を吸って~、大人は師管らしいよ~。まあ、馬鹿には~違いなんてわからないだろうけどな~! あと、壁の塗料にはもうシンナーは残っていないよ~」
「まさかの真面目回答だな。なに? マチって蝉とか食べたりするんだ」
「食 べれるらしいけど、率先して食べたりはしないかな~。あんまり変なこと言ってると蝉に刺させるよ~。口じゃなくて卵管の方をね~。さらに蘊蓄を披露するな ら、実は蝉ってカメムシ目。あと七日で死ぬってのは俗説~。単純に飼育が難しいからすぐ死んじゃうってだけらしいよ~」
「先輩はどう思います?」
「え、おいしければ食べてもいいけど、おいしかったらふつう食べる機会はあると思うんだよ。蜂の子はまあまあだった」
 蜂の子のおいしい調理法を先輩とマチが話し合っていると近くで声。学校近くの林から聞こえる合唱は、それほど神経を苛立たせるほどの喧騒ではないが、近くに現れた、たった一匹の声はひどく癇に障る。
「あーもう、うっさいなー。癪に障るぜ」
  先輩は話の邪魔をする蝉に苛立ったよう。休日の学校、一般の教室にはない大きな机に横顔をつけていると、蝉の声は片耳からしか聞こえないかというとそうい うわけでもなく、机につけた片方の耳には、潮騒には似ても似つかない騒音を含んだ音が入る。せめてもの救いは体温よりも冷たい机だ。それもすぐに体温が 移って暑苦しいものになってしまうが。
 大きく開けたシャツに汗は触れることはなくて、鎖骨から下に流れる感触を得る。体の上を伝う感触に気化熱も手伝って、少し背筋を震わせる。
顔を机から引っぺがして先輩たちの方を向く。
「そのうち日本語に堪能したのが現れて、つくつくほーしみたいに『すっきやねんすっきやねんすっきやねん』みたいなのでたりしませんかね」
「じゃあ最初の方は言うのが下手くそで『す、すっすすす、すっきやねん!』みたいな?」
「蝉って鶯みたく、最初鳴くのは下手なんですか?」
「まあ、あたしらだって二次性徴があるからそんなかんじかな~。最初は下手らしいよ~。あと鳴くのはオスだけらしいし~。オスのお腹は鳴くために空っぽ何だって~。人間の男は何が空っぽ何だろうね~?」
「なんでそこでマチはこっち見てにやにやすんだよ」
「え~? わかんない~? まあともかく、なんで方言なわけ~? そもそも蝉なんだから蝉語でしゃべってないとさ~ 人間様に求婚しても無駄だし、してくんな~」
 先輩も頷きながらマチに続く。
「っていうか虫に求婚されても困るけど、態度が暑苦しそう。熱い愛はいいけれども、暑苦しい愛は要らないかな」
「愛されるだけましじゃないですかね。贅沢ですよ、世の中には愛の言葉をもらえない人もいるってのに。それはそれで、恋なんかしないって言ってる子がさっさと彼氏作ったりなんてのもよく聞く話ですよ。女心と秋の空ってやつですよ」
「まだ夏なのに秋の話されてもね~。しかも~、元は男心と秋の空だかんね~」
「へえー、そうなんだ。じゃあさ女心とゲリラ豪雨ってのはどうよ」
「先輩、自分で自分のことをゲリラ豪雨って言っても気にならないんですか? 秋の空以上に精神状態が不安定すぎると思いますよ」
 さすがに自分でも心をゲリラ豪雨に例えるのに抵抗があるようで、しばらく目を泳がせた後わざとらしく咳払いをした。
「まあ、それはともかくさ、愛の言葉はいくら囁かれても良いっていうのと、軽々しく口にするなって言うけど、どう思うよお前ら?」
「あたしはどっちでもいいよ~」
「やっぱり男心も秋の空ってことでいいんじゃないですか。相手によって合わせますよ」
「うわー、マチが言うと興味ないって聞こえるけれども、男がそう言うと誑しっぽいなーそれ。そもそも二人とも答えが無難すぎて面白くない! そこは斜め上をいった言葉を喚いて欲しかったな」
「そんなこと言われても、誰かに向かって愛の言葉を吐くなんて、具体的な想像がつかないものには具体性って欠けるものですってば。そもそも先輩はどう思うんですか?」
「え? おれっち? ……んー、とりあえず木にへばりついたりしなくて、暑苦しく叫ばなければいいかな?」
「その答えって50歩100歩、ドングリの背ですよ」