人の為と



「人の為と書いて、偽りと読む!」
「ど うしたんですかいきなり。あたりまえでなおかつ使い古されたことなんか言っちゃって。このあと続けて人の夢は儚いとか言い出したら、間違いなく自分に酔っ てますよ。酒が沢山あって酔うって書きますけれども、お酒なんかなくったって酔えるもんですよね。江戸の人はお茶で酔っぱらったって言いますし」
  いきなり叫んだ先輩は漢字辞典の人偏コーナーを読んでいたわけではなく、どうやら小説を読んでいたらしい。ということは宇宙からの電波を受信したのでない 限り、フレーズはここから来たものらしい。感銘を受けたからといって本それ自体を丁重に扱うことはないらしく、叫んだと同時に立ち上がったせいで本は床に 寝ている。だいぶ寝相が悪いのでどこか痛めているかもしれない。
 この時間の図書室は叫んだとしても怒る人なんかはいない。なぜならばまだ授業中だから。
 司書の先生は俺らに鍵を預けてお出かけ中だ。お昼ごはんに菓子パン買ってくるそうだ。きっと将来迎える死因は砂糖死だと信じている。
 他に図書室警護の任に就いているものはいないので、暴れることはアウトでも、騒ぐことはファールではないだろう。上は屋上なので下からの文句が来ない程度の裁量権がある。今度はより強い自治権を要求しよう。
「作者の気持ちを代弁してみたのだよ。だってもしかしてひょっとするとおれっちの今の授業は現国だろうから」
「最上級生にもなってサボりかますんですから、まじめに勉強しなくていいと思いますよ。ちなみにこっちは保健体育を無理やりにでも授業時間として捩じ込んでいいですか?」
「あれか僧坊筋と後背筋とかじっくり見られちゃうか!? ひこつとしゃっこつとか見られちゃうか!!」
「できればもうちょっとエロチックな流れにしたいですね。保健体育越えて明らかに医学分野に進出してますよ」
「じゃああれだ、内臓関連まで含めて外科内科整形外科とか細かく分けるか!」
「じゃああれですね、産婦人科と泌尿器科と整形外科メインでお願いします」
 なんで整形外科が入るのか聞かれたので説明するとひかれた。
「まあともかく漢字アナグラム考える人ってすごいよね。そこから発展して、バラバラの記号としか思えないものから漢字を組み立てて、あいきゅーてすと!って言い張って知能はかろうとするし。そんなん知能じゃねえだろ!っていつも思うんだけど」
「どっちかっていうと閃きって気がしますね。まあ閃きが知性かもしれませんけど。記号はともかく、アナグラムの類は意味づけが面白いものが好きですね。幻ノ女と書いて幼女と読むっていうのは、天才かロリコンのどっちかだなって思いましたね」
「おれっちとしては後者を推すね。むしろ後者以外あり得ないだろう」
「ですよね。やっぱり。でも幻のくノ一と書いて幼女と読むほうが楽しそうですよね。忍者自体もはや幻みたいなものですし。最後に幼女って言わなかったらちょっとカッコいいんですがね。幻の珍味とか幻の魚みたいで」
「い やいやそれっておいしそうだけどもかっこよくはないかな。どちらにせよそのフレーズを吐くようなヤツは幼女嗜好の持ち主だと思うんだ。最後の一言を言う限 りはね。よし、今度から積極的に使っていこう! だってただの幼女どころか幻でしかもくノ一だよ!使うしかねえぜ!」
「畜生、女性の幼女嗜好の持ち主はただの子供好きにカモフラージュされてわかりにくいぜ!」
「まあ、子どもは好きかな。男女問わずに。あ、あと老いも若きも男も女も、ネコもシャクシも好きだよ」
「それはただの子供好きですよ。ってか人間礼賛? まあそんなに好きなら自前で拵えませんか? もう滅茶苦茶協力しますよ!」
 目潰しされた。
 大げさにダメージをアピールして、図書室が埃っぽいというと雰囲気があるのに、転がるとなるといささか清潔な図書室に軍配が上がるなんてことを考えてしまう。
 あまり掃除の行き届いていない床をうごめいていると、顔から手を引っぺがされて本を渡された。手の中にある本はどうやら先ほどまで先輩が読んでいた本らしい。思っていた通り本のページにはドッグイヤーというには大きすぎる折り目が付いていた。
 涙でゆがんだ視界が落ち着くのを待ってページに目を落としてみる。現国の授業中らしいので零点を言い渡した。本の中身は全然関係がなかったからだ。