壜の中身



 場所が場所であるからマチにでも貰ったのだろうか、先輩は何かが詰められた壜を掌の中でもてあそんでいる。壜のガラスは曇りガラスということもないので中に入っているものは見えるのだが、いったい何であるのか判然としない。色ガラスで見通せないわけでもない。
 先輩が上下逆にしたり回したりと弄ぶのをやめないので、中身も一緒に動いてしまう。常に動いているからわからないのかとも思うが、きっと止まっていてもそれがなんであるのかわからないだろう。
「どうしたんすか、それ?」
「ん、何かマチに貰った~。綺麗じゃん。なんかは知らないけどさ」
 綺麗といったくせに、万歩計がなかなか一万歩いかないので振って数を稼ぐかのように壜を振る先輩。疲れて等閑に振る勢いではなく、意気込んで全力な振り始めの勢いをキープだ。
  綺麗なだけではなく丈夫さも兼ね揃えているようで、壜の中のものは砕けたりしていない。棘は付いていないようで瓶に傷も付いていない。振られることで光が 反射し、その色をより意識させる。眩しいんじゃなくて、どこか目を引く。でもその目を引く場所は振られることで変わり続ける。
 音を立てて、理科系の部屋特有の床に固定された机に壜を置く先輩。蛇口は使われていなかったようで、水滴を落とすことはない。中身は壜を置く衝撃で揺れ動いていたが、すぐに動きを止める。先輩はその様子を机に顎を乗せて眺めていた。
「不思議だよね。透けて見えるけれども光はガラスで屈折してるはずだから、本当に正しいものが見えてるかなんてわからないのにね。それでも綺麗って言っちゃうんだからさ」
 窓の外の太陽を雲が隠すけれども、光源は天井にあるありふれた蛍光灯なので、部屋の光量が変わるくらいで大した変化は見られない。光は減って確かに見える風景は変わるのだけれども、そんなものは些細なものだ。
 きっと先輩の顔はさっきよりも、より濃く壜に映っているのだろう。
「透明なガラスは透かして見えるのに、すりガラスになったとたんにぼやけて見えちゃうしね。ガラス一枚くらい透かして見るくらいの眼力を持つべきなんじゃないかな。もっと見たいものが見えると便利なんじゃないかな」
「そりゃいいですね。更衣室ってもしも対策ですりガラスが防衛線を築いているので、ハプニング時の興奮度が上がりますね」
「前言撤回。目なんて潰れてしまえ」
「それこそ見透かしておくべきですね」
 自分という人間が綺麗かどうかは、直接自分の目で見ることができないのでさておき、撤回されてしまえば先輩の前言の前言に思いが帰る。
 空気だって屈折してますよと言ってもいいけれど、結局のところ言いたいことは見えていないということなので、話の腰を折らずに意をくみ取ってみる。
「壜から取り出してみたらグロテスクかも知れないってことですか? そんなこと言ったら自分の目だってあてにならないと思いますよ」
「うん。だからおれっちはいまいち、いろんなものに対して信用がないように思うんだよな。ほんの少しそれを疑ってみちゃうんだよ。だから疑いの無いものは見えないものだけだよね」
「目に見えないものこそが真実ですか? じゃあ、あれですか、愛とかですか」
「そんな軽薄なこと言っちゃうと愛さえも疑われちゃうんだぜ」
「もともと見えないものなんか信用してませんけどね」
「マジで? 愛くらいはあるもんだって信じてないとやってらんないじゃん」
「だから見えないものはって言ってるじゃないですか」
  先輩は安定感抜群の机がお気に召しているようで、顎は乗せたまま視線がより上向く。もちろんその視線の先にいるのは自分なわけで、説明を求めていること だってわかっている。教室の木のそれとは違った質感をもつそれは嫌いではないが、顎を離して真っ正面から見られたいと思う。
 壜の中のそれに目があるかどうかは知らないが、見ているからには見られたいんだ。
「見えない愛なんて愛じゃありませんよ。愛なんてありきたりで見え見えじゃないですか。目を凝らさなくても見えるんですよ。ちょっと見渡してみれば愛なんてゴミ見たいに転がしてあげますよ。先輩だって信用してるものはあるんでしょ? そういうことですよ」
 気障なことを言ってみたけれども先輩の反応はいまいち。外したかなと思っていると壜を投げられた。先輩の挙動は見ていたわけで、真っ正面から飛んでくる壜に当たることなんてない。軽々と片手でキャッチ。
 掌の隙間、そこから見た瓶の中には何もなかった。