吐き出す



 昨日は特に夜更かしをしていたというわけではなかったが、寝不足であろうとそうでなかろうと、眠い時は眠いのだ。
 帰りのホームルームでは不機嫌なフクたんが入ってきた始まりの記憶しかなく、そこから記憶は途切れて俺はこうして机に突っ伏していた。どうやら寝てしまっていたらしい。
  よだれが出ていたような気がして、制服の袖で口元をぬぐいながら時計を見れば、長針も短針も数字の六を回っている。だいぶ眠ってしまっていた。誰か起こし てくれてもいいと思うのだが、起こされた記憶がないのでずっと放置されていたか、深い眠りで気づいていないかのどちらかだろう。そのどちらでもないのなら ば、自分の身に何が降りかかったのかを確認せねばならない。雨戸や十字架あたりが寝顔を写真に撮ったり、悪戯で落書きしているのかもしれない。
 袖口を見ればよだれも、その他の液体もついてはいなかった。気のせいか夢の感触だろう。
 背中が凝ってしまったので一つ伸びをする。机に突っ伏していたため曲った背中が伸びて気持ちがいい。
 そのままあくびを一つして、また机に突っ伏してみる。まだわずかな眠気はあるが、このまま寝てしまうのはよろしくない。けれども睡眠の余韻があることには変わりないので、寝ていた姿勢に戻ってしまった。
 そのままあくびをもう一つ。
 あくびで狭まった視界の隅、ドアが開いて先輩が入ってきた。今日は一緒に帰る約束はしていなかったので慌てる必要はなし。きっと先輩は暇ではないのだろうけれど、暇にしてしまったのだろう。
「おいっす。なにやってんのさ? 誰もいない教室で寝てたって、美少女は起こしにきてくんないんだぜ」
「まあ、先輩が来たんで良しとしますよ」
「おお? おれっちってば美少女?」
「あー、すいません。寝ぼけてたようです」
 先輩は軽く俺の頭をはたいて、目の前の机に胡坐をかく。机に突っ伏している俺に対して先輩とは少し目線が高くなるので、首を上げるのが辛い俺は身をよじって横になる。先輩はきちんと下には短パンを穿いているけれど、高い防御力から来るその無防備さが良し。
 やっぱり目線を合わせるのが苦しいので、先輩と向かい合うように俺も机に腰掛ける。人の机には平気で座るけれども、自分の机に座ることはあまりない。目の前の椅子には俺の両足と先輩のすこしくずした胡坐の片足が乗る。
 またあくびが漏れる。
「ぁわ」
 つられて先輩もあくびを一つ。口を手で隠すことなんかしないので、先輩は俺の目の前で大口を開ける。口は大きくて、手が入りそうに見える。だから手を突っ込んでみることにした。
「んあ、おおうえあわに?」
「その腕はなに? ですか?」
  先輩はわかっているならさっさとひっこめろと意思を込めてうなずく。もちろんうなずくと手に歯が当たる。いきなり手を突っ込まれるとは思っていなかったよ うで、その瞬間の先輩のリアクションはなかなか笑えるものだった。拒絶の意を口がふさがれているのでまともに言えてないし。
 折角口の中に手なんて突っ込んだのだからいじりまわしてみる。
  普段は触れられぬ場所、口腔は暖かさをもって俺の指にその存在を示す。見えないものは信じにくいけれども、口には中があるということをわからせる。口の中 に動く舌、やわらかい口の中で異質の存在である歯。どれもが自分のものなら容易だけれど、他人のそれは触りがたいもの。先輩は俺の指を異物と判断してか唾 液の分泌が増えている。先輩もそれに気づいていて、指を突っ込まれるのを嫌そうにしている。まあ、俺だってされたら嫌だ。
「んぶ、く」
 指を奥に突っ込めば先輩は軽く戻しそうになる。その仕草が面白くて俺はさらに奥へと突っ込んだ。それが悪かったのだろう。先輩もまさか俺がそこまでするとは思っていなかったらしく、あまりにも深くに突っ込まれて
「……!」
 床に胃の中身を吐き出す。反射に近いその動きは止めることはできずに、先輩はしばらく震えていた。人が吐くというアクションは滅多に見れるものではなく、案外冷静に見てみると面白い動きをするもんだなという感想。うん、面白く、そして激しい。
 しまったなーっと思いつつ、汚れていないほうの手で先輩の背中をさすってあげることにした。原因が俺なのでこれは優しさなんかじゃなくて罪滅ぼしに違いない。このぐらいで滅ぶ罪かはわからない。
「あったく、あにすんおよもう!」
 先輩は涙目。口の端に残る涎を拭う。顔は真っ赤で先ほどの苦しさが推し量れるというものだ。
「いや、まあ、軽いスキンシップ?」
「ぜんっぜん軽くない!」
 ふと高熱を出して嘔吐を繰り返した時のことを思い出す。それはきっと先輩の顔が赤かったから。そして口の中はスキンかどうか悩みながら同意しといた。