劣情より 机に足を乗せ、図書室で借りた本を読んでいれば後ろに気配。振り向いてみれば先輩が立っていて、俺から見れば嫌な顔をしていた。 「何すか先輩、面白いものなんて何にもないですよ。あるとすればこの小説くらいです。もう二周目なんで貸しましょうか?」 さっきまで読んでいたハードカバーを持ち上げる。先輩はこっちのお勧めだというのにあからさまに興味がないようで、視線すらも向けてくれない。本心ではそれほど面白いと思っているわけではなかったのだが、二周したくらいなのでちょっぴりは気に入っているのだ。 そんな俺の気持ちなんかは伝わることはなくって、先輩は何がしたいのか俺の後ろに回り込み、座っている俺のつむじにむちゅーっと口づけ。 「そんなところに何してんですか! できればもっと気持ちいい所にしましょうよ!」 慌ててはいたけれども、先輩が俺を慌てさせるのはいつものことで、掲げた本は机の上に。 ファーストキスは誰もいない教室で、っていうのは確かにロマンチックかもしれないけれども別にキスなんて初めてではない。だからってロマンチックを感じないわけではない。夕暮れ時の薄暗い中だとさらに盛り上がるのだが、まだ陽はそこそこに高い。 「いやー、なんだかさ、ちょっくら劣情を催したんだぜ」 「ちょっと何なんですか一体? 言葉の意味が難解で判然としにくくも、思春期の男子諸兄がついつい喜んでしまいそうなこと言ってるんですか」 も ちろん俺もその青春まっただ中にいるわけで、動悸が早くなっている。その大部分を占めるのは劣情にともなう行為への期待なんかじゃなくて、驚きと不安なの である。無邪気に喜ぶことなんてできなくて、ビビっているけれどポーカーフェイスを作ってみる。そんな上っ面が期待を隠してのものだなんて思われたくはな いので、はがれおちないよう、横から覗きこまれないよう、しっかりと仮面を張り付ける。 「人気のない教室でそんなことを言うもんじゃないですよ。ここはこっそりガリ勉とかしてましょうよ。先輩の成績が上がって、それはそれで不健全にニヤニヤできますよ」 先 輩は嫌そうな顔。まあ俺だって放課後に残ってまで勉強なんかしたくはない。だからこうして本なんか読んでいるのだ。本を読んではいたけれども、本を読みた くて残っていたのではなくて、時間を潰していれば誰かやってこないかなんて思っていたこともたしか。でも、そんなことはさみしい話なので忘れることにす る。 先輩は勉強と聞いて嫌な顔を浮かべたけれども、切り替わりが早く何事か思案顔。 何を考えているのか、どうせ人類の新たな一歩を左右するようなことは考えていないに違いない。 鼓動はだいぶおさまってきた。 「そういえばさ、劣情の反対語ってなんだろ?」 「それを言うなら対義語ですよ。意義が対になる語、ですから。反対語って表現も面白いですけど」 「ま、言葉なんて通じりゃいいじゃん。んー、優劣っていうくらいだから反対は優情?」 「友情ですかー、それはとても劣情を催しそうにはありませんね。それとも友達とそんなことを致しちゃうのはアリですか?」 先輩は身に覚えがあるのか、ちょっぴり考えている。答えを出す気があるのかないのかは知らない。そもそも答えなんか出てしまえば、悩むことはなくなってしまうので、できればずっと悩んだままでいてほしい。 「まあ、感情の全てに説明なんかつけちゃうと面白くなくなりますよね」 俺はハードカバーの背、本のタイトルを指の腹でなぞる。本を読んだ感想なんてものも、言葉にしてしまえばどこか嘘臭く感じてしまう。もしくはうまく説明できない言い訳かもしれないけど。 「いろいろと思うところはあるんだけどさ、そんないろいろあるものの一部をおれっちが言うのはありなんかな?」 「さあ? そんなことは知りませんよ。とりあえず先輩のその言葉が、うまく言葉にできないから言っちゃった逃げの口上じゃないなら、いいんじゃないですか?」 話 してくれなかったので先輩が何を考えているのかはわからないけれども、どうやら俺の発言にムッときたのは確かなよう。何事かを答えようとした先輩、その言 葉を言わせないよう額にキス。先輩は何も言わない。そのまま唇は降りていき、瞼に、鼻に、頬に。唇に差し掛かったところで先輩に止められた。 「そこは、ダメなんじゃないのかな?」 キスの意味を考えてみるけれど構わないことにした。 |