蛍を見に



「なあ、蛍見に行かないか?」
 そんな風流な提案をしたのは、珍しいことに幽霊だった。普段は何をしているのか分からないので、こういったことを言われると非常に興味がわいてしまう。それに加えて断る理由も全く見当たらなかったので付き合うことにした。
 そうして日も沈んで今、俺は幽霊ん家のそば近くを流れる小川にやってきた。当初の予定では野郎二人で呆けているはずだったのに、まあそれはそれでさみしいのだが、やかましい奴らが増えていた。
「蛍~蛍~、どこだっ! 出て来い! おれっちが相手になってやんぜ!」
「たしかにほんのりちょっぴり少ししかいませんね。こっちの殺気に気付いて迅速快速第二戦速で逃げたんですかね?」
 蛍を見に行くのに殺気なんて放たないでください。
 風流のつもりだったのかそうじゃないのか、幽霊の当初の計画はどうだったのかは知らないが、やかましく騒ぐ先輩と十字架がパーティに加わっていた。
 メンツのせいで風流とはほど遠くなってしまったが、幽霊はそれでも楽しそうに一番先頭を切って歩いているので気にしないでいよう。まあ後ろ姿なんで本当に楽しいのか分からないけどな。
 最 初は勢いがあったのに近くを流れる小川から聞こえる魚の跳ねる音にビビったりする十字架、舗装も中途半端で照明が少なく薄暗い道なのに怖がるそぶりも見せ ずに幽霊についていく先輩、俺はそんなみんなをぼんやり見ながら一番後ろからついて行く。先輩の大胆すぎる足取りに不安を感じながら、いきなりここで俺が 消えたら十字架がめちゃくちゃビビるだろうな~、なんて考えながら。
 目の端に少しの光点を捉えながら、いったいどこまで歩いていくのか、どこか目 的地があるのではなく川を遡って行くとこまで行ったら引き返して帰る気でいるのかな、と考えながら歩いていると足裏を伝わる感触がアスファルトではなく なった。ゆるい坂の途中を幽霊が曲がりみんなで未舗装のけもの道へ。
「なあなあ幽霊、そっち行くと川から離れそうだけれども蛍見に行くんだよな?」
「そうそう! こんな怪しくて暗くて不気味なとこに入っても蛍なんていないんじゃない?」
 そう言う十字架は挙動不審にあたりをきょろきょろしている。ここは山奥ではないけれども、夜の山道なんて何かが出ようが出まいが怖いものだ。出たら確実に怖いだろうけど、まだお会いしたことはない。
「大丈夫」
 そう短く言って幽霊は先に進んでいく。どうやらよく知った道のようで、不慣れでよく知らない俺たちに注意を促してくる。できれば注意して進まなくていい道がいいのだが、そんな文句を言うのは野暮なことだと思うので黙っている。
 注意されたにもかかわらず十字架が三回転んで、結構急な傾斜を登ると目的地に着いた。幽霊が俺たちに見せたかった場所、そこは広い水たまりのような川だった。
「ふは~、なんなのここ? ちょ、蛍すげー、めっちゃいるめっちゃいる! うわー、おれっちこんなにいっぱいまとまってるの見るの初めて!」
 さっきまで足元を注意しながらずーっと下を向いて歩いていたので、数瞬この川の上に揺らめく蛍に気付かなかった。この幻想的な景色には正直言葉を失うか叫びだしそうだ。ちなみに俺が前者で先輩が後者だった。
「こ こ山の中腹にあるから見ただけじゃあ分からなくて、近くに住んでいる人しか知らない穴場なんですよ。ここだけがこんな水たまりみたいな川の形をしているん です。他の場所じゃあ川の幅が狭すぎたり流れが急だったりして繁殖に向かないから、辺りの蛍がここに集まってくるんですよ」
 周囲を高く低くさまよう光点。上空の星空を映すことなんてできないのは分かっているが、水面に輝く蛍火は星の明かりだと信じそうになるほどの数。大声を出すと逃げてしまいそうで、静かに注意を払い、周りを飛ぶ蛍や草むらに停まっている蛍を避けながら小川へと近づく。
 川の水は浅いからといってぬるいことはなく、足首に冷たい刺激をつたえる。上を見上げれば竹や木々の隙間からのぞく星空とまざりあう蛍火の夜空。
 いつ仕掛けていたのか、下流の方に沈めてあったネットから幽霊が良く冷えたジュースを渡してくれる。俺らは冷えた缶を握りしめ黙って蛍を眺めていた。
「たまにはこういうのもいいだろう」
 幽霊の小さな言葉に俺も小さく返す。苦笑も蛍の光点のようにゆるやかに消えた。