抱きつく 食欲が満たされれば新たな欲求が首をもたげる。人間はいつだって満たされることはなく、欲求不満の状態にある。 十分な勝利の欲求は満たされず、平民街道まっしぐらでいると後ろに気配を感じた。振り返ると大富豪の参加者でもないのに、紅茶が赤い顔でゆれていた。そしてその腕には空になった酒瓶が、これでもかと言わんばかりの力で絞められている。 「ちょ、誰だよ! 紅茶に罰ゲームの酒飲ませた奴! おい雨戸、相方だろ、おやつばっか食ってないでなんとかしろよ」 「却下、見てた方がおもしろそうやわぁ」 「あ~、どうせ十字架あたりがふざけて飲ませたんじゃねーべ? さっきから十字架がちびちびくすねてるべ」 特にイベントがあったわけでもなかったけれど、とある放課後、教室にカセットコンロと鍋を持ち込んでの宴会のあと。 腹がそこそこ膨れると俺らのような大富豪組と、のんびり駄弁り組に分かれてまったりしていた。大貧民になってしまい、まったりできずにカツカツの奴もいたけど。 酒 のせいで潤んだ瞳で周囲を眺めている紅茶。的にならないように俺はゲームを放棄して退避する。メリットもデメリットも無い平民だったからこその身軽さだ。 大貧民ならば抜けさせてなどもらえないし、大富豪であれば今回のゲームの賞品である商店街共通商品券を諦めきれずにいただろう。 同じく平民だが、諦めきれずに上を狙おうと粘っていた裏方が餌食になった。たいてい安全圏で上を狙うとろくなことにはならない。すっぱり切りぬける見切りの良さが大事だ。そもそも、上級生が大富豪に参加しているのはいいのか? 「……裏方~、あは、何でこんなとこいんの? 自分のクラスには帰んなくていいのー?」 「ふぇ」 触れた瞬間、絞める絞める締め上げる。もはやハグとは言い難い強さで紅茶は裏方を締め上げる。酒のせいで力加減ができないのは分かるのだが、それにしたってやりすぎだろうってくらいに強烈な抱擁。締められる方は熊を想起させる。 「おう、紅茶から裏方逃げられると思うかぁ? 俺逃げられない方にアイスやわぁ」 「ん~、俺も無理に賭けるかな。っていうか賭けにならんだろ。あの抱きつき魔は一度食らいついたら離さんからなー。だから勝手に俺のアイスを食うな」 雨戸から残ったアイスを奪い取る。箱の中身を見てみればだいぶ減っていて、さらに残っているのはバニラ味ばかり。駄弁り組の方を見れば、みんな良い笑顔に食後の一言を添えて手を振ってくる。ちくしょうめ。 視 線を戻せば、裏方は無事に首から紅茶の手を引き離すことに成功していた。紅茶は腰のちょっと上の辺りをしっかりと掴んで、裏方は紅茶をくっつけたまま大富 豪を続けている。紅茶に絞め殺される心配がなくなったので交ろうとしたら、一度抜けた奴は駄目だと言われてしまった。ちくしょうめ。 ゲームが終わ るごとに一喜一憂の声がどっと沸く目の前の塊。大富豪組を対象にされている賭けのオッズを聞いてみれば、幽霊が一位になるっていうのが有力候補だった。裏 方は年の功を発揮できずに相変わらず平民生活。まあ裏方らしいといえばらしいことだ。面白いことに、負けが込んでいるのはオンドリだった。 普段の 姿を見ると、なんでも要領よくこなしそうなものだったのに、どうにもカードの運も悪ければ、人の流れも悪いらしい。いっこ上の裏方が混じってるのが人の流 れでは一番の要因。まあ運ばっかりはどうにもならんわな。聞いてみれば俺が一位になるのもだいぶ分の悪い賭けだったらしい。ちくしょうめ。 大富豪 は紅茶が裏方のカードにあれこれと口を出しているが、それが他の奴らにも聞こえていて、何を持っているのか読まれる始末。それに加えて紅茶がべったりと張 り付いているので、裏方はさらにゲームがやりにくそうだ。両サイドからちらちらとカードを覗き見られているが、もちろん反則ではない。 「このままだと、裏方が大貧民に転がり落ちるかもしれんわぁ」 「紅茶が足引っ張ってるからな。カード運の強さで平民にへばりついてるもんだろ。おい、元締め、ちなみに賭けの商品って何?」 聞いてみれば雨戸はお菓子が詰まった袋を指した。見おぼえのあるそれは俺が買ってきたワサビ特集お菓子セットだった。 アイスの件といい、勝手に賭けの商品にしたことで文句をつけようとすれば、雨戸の顔を見て文句は口から出ずに考えになる。 さて、これからどうしたものか? 裏方を締めつけながら張り付いた紅茶を、さらに覆うようにして、あーだこーだと口出しすることにした。場を掻きまわして、失ったおやつへの恨みを晴らし、溜飲を下げることにしよう。 無理でした。 結果はやっぱり幽霊が大富豪をキープして一位。盛大に幽霊に賭けていた奴らによって山分けにされる元俺のお菓子。中身がワサビ責めで顔をしかめる奴もいたが、俺に返してくれることも無く律義に受け取っていく。嫌なら食うな。悔しいので今度幽霊に何かたかるとしよう。 |